出産記
2008年 12月 12日
出産記は必ずUpしたいと思いながらもなかなか・・・。
もうすでに記憶から薄れてる・・・?いやいや、この日のことは絶対に忘れないでしょう。
こんな思いはもう2度としたくない(苦笑)と思いながらも、お友達の女の子の赤ちゃん
見ては、次は女の子がほしいなんて考えている私・・・。やはり女は強しなのでしょうかね~。
~私の出産記~
9月30日(予定日3日前)
深夜3:40すぎ
おなかの下腹部が痛くなる。下痢の痛みと似ているとは聞いてはいたけれど、
ここまで酷似しているとは思わず・・・。下痢なのか前駆陣痛なのか判断つかず。
とりあえずトイレに駆け込む。それが2~3回続いた。
そして20分感覚で痛みが襲ってくる。
明け方5:30すぎ
おりものシートにおしるしがついているのを発見。(ちょっと感動)
ということで、出産が近づいてきていること判明。
痛みが来るのは均等ではなく、前駆陣痛。
寝ると痛みがやわらぎ、うとうと7:30~10:00くらいまで寝る。
10:00
痛みがひき、何事もなかったようになる。Midwifeから連絡があり、
なぜ、今日、GPに健診にこなかったのか?と尋ねられるものの、約束は明日!
しかもMidwifeは我が家に来ることになっていたのに・・・・。
おしるしが来たことを伝えると
「Oh,good!」と言われ、このまま陣痛が促進するよう、パイナップルを購入し
食べることを本気で勧められる。(パイナップルの件は本当だったのね:笑)
この日はこの後1日、普通に過ごし、22時くらいに就寝。
10月1日(予定日2日前)
明け方4:25
おなかの痛みで目が覚める。痛みは昨日と同じ、下腹部の痛み、はかってみると
10分間隔。今日中におそらく出産すると直感。
吐き気も襲ってくる。しかし、痛みが過ぎ去ると何事もなかったように体は動かせる。
痛みに集中するのもいやだったので、痛いときだけソファーにしがみつき、
痛みが過ぎ去るとキッチンに一人たち、病院で食べるおにぎりや、出産後簡単に
食べれるような冷凍保存食を作る。
(※これが間違いだった。出産のために、体力は温存しておくべき!)
6:30
痛み逃しの姿。
いまだ痛みは10分間隔から縮まらないが、寝ているもり男に
「午後には病院に入ると思うので、会社を休むか、もしくは午前中のみにしてほしい」と
頼む。彼はそのまま休暇をとることに。
借りていたTensを使用し、痛み逃しを続ける。私はこのTensにけっこう助けられた
と思う。
(※日本ではこのTensは知られていないように思う。陣痛の痛みを和らげるため腰と
おしり部分に薄型マッサージ機のようなものを貼り、電気によって痛みをBlockするもの)
10:00
痛みは強まるものの、間隔は縮まらずまだ10分間隔。自分は微弱陣痛であると悟る。
(※微弱陣痛だと、出産までに時間がかかり、母体がかなり疲労する)
日本の実家に連絡し、おそらく今日病院に入院し、出産することを伝える。
14:10
痛みの感覚が7分~8分間隔をいったりきたり。病院が言う、5分間隔には
どうしてもたどりつかない。私自身、微弱陣痛だと強く確信する。
痛み逃しにも疲れてきて、Bathにつかる。
(※私にとってはこれもいけなかったかも。体力を案外使ってしまった・・・)
私には確信があって、微弱陣痛なので痛み5分間隔にはならないと
判断。お風呂で痛みは少々和らぐが40分後我慢できずに、病院に連絡いれてもらう。
ここで信じられないことが起こる。病院にもり男が連絡すると
「あなたはうちの患者じゃないのに、どうして連絡してくるの?」
という病院側の対応。もうあきれるも何も・・・。痛みで怒ることもできず・・・。
数ヶ月前に転院し、検査等も受けているのに、情報がUPされていないらしい・・。
さすがのもり男もこれには激怒!ことを説明し、なんとか受け入れてもらえることに。
「初産だし、痛みが7~8分間隔なら、まだ大丈夫だと思うけれど、来たいなら
来ていいわよ」
という病院の対応。
15:20
隣人に車を出してもらい病院へ直行。
16:00
道が込んでいたが、なんとか無事に病院へ到着。
(ここからが本当の苦難の道だった)
16:30
出産室に入り、子宮口を確認してもらう。
「5センチも開いている!初産にしてはよくここまで家でがんばったわね!
あと2時間ほどで生まれるかも!」
とMidwifeから言葉をかけられる。
(電話ではまだ来なくていいと言ってたのに)自分の直感みたいなものを信じてよかった。
POWERを最後のいきみに残しておきたいので、エピドュラル(無痛分娩)をしたいと
いう希望も伝えておく。ただし、今日は病院側がとてもBusyなのでなかなか順番を
とるのが大変らしい。
「あなたなら、エピドュラルなしで出産できるわよ!」
というMidwifeの声をいったん素直に聞くことに。
あと2時間くらいで生まれるだろうと言われるも、陣痛が強まらず・・・。
尿検査をすると、私の血糖値が低いため(体力消耗しきっていて)、陣痛が強まらない
との見解を言われ、持参していたおにぎりを食べる。すると不思議、おにぎりを食べると
陣痛が襲ってくる。やはり体力がすでに尽きていたようだ。
声(叫び)を出したところで、POWERを消耗するだけと思い、私が静かに声を出さず、
痛みのがしをしている様子をMidwifeが見て
「あなたの奥さんはこうやって、これまで痛み逃しをしていたの?こんな妊婦さん
は見たことがないわ」
ともり男に質問していた。
(※この静かなる「忍」妊婦姿がいけなかったかも・・・)
それでも、まだこの時には痛みと痛みの間になんとか返事する余裕もあった。
ひたすら無言で堪える私はこんな感じ。
痛み逃しのために、勧められた“笑気ガス”=ガス&エアーを使うも、
私の体には合わないようで吐き気を催す。
(少ないけれど笑気ガスで吐き気を催す人もいると聞いていたけどそれはまさに、
私のこと・・・:涙)
これまで体力つけるために食べたおにぎりが見事、全て吐き出されてしまう。
ただでさえ、つらいのに、吐くことも加わり、体力・POWERがさらに低下。
笑気ガスを使用することをあきらめる。この時点でエピを使用したいことを
再度Midwifeに告げるも、本気でとりあってもらえず。
18:30
言われた2時間が過ぎても破水もしない。これにはMidwifeも自分の見解が外れた
とみて、人口破水を勧めてきた。それに同意し、人口破水へ。
子宮口あたりに針を刺し、人工的に破水されるわけだけれど、これが思っていた以上に
痛かった。痛いので、笑気ガスを吸うことを求られ、しぶしぶ使用。知らずの
うちに、もり男に手を握ってもらうよう、右手を差し出していた。もり男が握り返し
てくれたのを感じるとともに、人口破水のあまりの痛さに、思いっきり笑気ガスを吸う。
体がふわふわと雲の上へあがって行くのを本気で感じた。そしてそこで、
私が生まれる前に亡くなったおじいちゃんと対面。といっても顔が見えるわけではなく、
存在を感じる。
自分はこの出産で本当に力果てて死んでしまうかもしれないと思った。じいちゃんに
これから生まれてくる、わが子をどうか守ってくれるよう、真剣に頼む。
これまた、知らぬうちに、頬に涙が伝う。あまりの意識の飛びように、もり男とMidwifeが
私に何度か声をかける。痛みもMAX、同時に破水し、水が外に流れていくとともに、
私も雲の上からすーっと下降りていく感覚。
陣痛開始から12時間以上がすぎたものの、陣痛の間隔はぜばまることなく
痛みだけが私を襲っている状態。
もう、これ以上POWERがもたないとみて、泣いて泣いて、再度エピュドラル使用を
懇願。それでもまだMidwifeはエピュドラル使用は認めてくれない。
彼女が出してきた提案はエピュドュラルはすぐに使えないけれど、(2時間半待ち)
モルフィン(モルヒネ)なら今すぐ使用でき痛みを緩和することが出来るというもの。
モルフィンにリスクはあるか?と尋ねると、
モルフィンを打って2時間以内にBABYが生まれてきた場合はBABYにもモルフィンが
きいて、しばらく自分で呼吸できない可能性があること。また24時間ほど、母体に
モルフィンが残り、母乳にもでるため、赤ちゃんが母乳を吸いたがらない、最悪母乳
嫌いになることもあるといわれる。
そもそも、そんなこと聞いて、モルフィンを使用する人はいるのか?
2時間半待ってもエピドュラルを使いたいと伝えさらに2時間半この状態で
がんばる。あまりの痛みと吐き気でほとんど気を失っているような感覚。
21:00
約束の21:00。ようやくエピを使ってもらえると思った矢先、
「緊急患者が入り、麻酔室は使えなくなったので、あたなに本日エピは使用できません」
との一言・・・。
2時間半痛みと戦い、もうPOWERは0。というかこの先継続して、何も使用せずに
自力で赤ちゃんを産むのは無理と判断。本当は絶対に使用したくないモルフィンを
もり男と相談し、使用することに。
モルフィンを打ってもらい、同時に吐き気を抑える注射もしてもらう。
モルフィンが効いてくると、陣痛以外の時は眠気に襲われ、完全に寝てしまう。
これが幸いして、POWERを少しでも温存しておくことができる。(といっても
ほとんどPOWERなし)
ここでMidwifeが交代。
23:00
モルフィンを打ってからあと2時間で出産といわれるも、
23:00になっても陣痛は一向に強くならない。Midwifeの言うことがすべて嘘に
思えてきてしまう。
私はいついきんでいいのかと尋ねると、ようやく2回目の内診。
「あっ、子宮口は全開していたわ。もういきんで大丈夫だったのね。ごめんなさい
わからずに」と謝られる・・・・。
これにはもう泣けてくる。そう、子宮口が全開していたらいきんでよいのだけれど
陣痛が強くなっていないからいきむにいきめず・・・。このことを早くわかっていたら
違う処置があったはず。
エピを待ち、使用できず、子宮口全開も誰も気づかずという不運に見舞われて
4~5時間くらいのロスに感じる。
ありがたいことに、わが子の心拍数が下がるということはなく、これでもまだ
自然分娩を継続する方向でMidwifeが私を諭す。こんな状態で分娩室の
移動を求められる(涙)朦朧とした頭で分娩室移動・・・。しかも自力。
23:30
いきみ開始するも、赤ちゃんが出てくる気配は全くなし。気を半分失っている状態。
それでも、他の分娩室から赤ちゃんの産声が聞こえてくる。おそらく私より後に
分娩室に入った3名の赤ちゃんの産声を私は聞いたと思う。もう自分はおなかに
入っているわが子を産むことは、このまま出来ないのではないか?と思い始めてくる。
ようやく、ここでMidwifeが陣痛が強まらずに、赤ちゃんも出てくる気配がないし、
私の体力消耗ぶりを見て医者を呼ぶことにしたと告げる。帝王切開でも何でも
してちょうだいという気分。
24:00 10月2日に突入!
医者2名が到着。私を診察すると、私の陣痛はやはり弱くいきむMaxの状態
にはなっていない。そして、私のいきみ方もうまくないので、赤ちゃんがひっかかって
出てこれない状態との診断。いきみの練習と(いまさらかい!)
吸引分娩に切り替えることを伝えられる。そして、陣痛の感覚が狭まり、強まる
いわば陣痛促進剤も打つことを伝えられる。
医者が来たら、すぐにいきんで産めると思っていたし、何よりせっかく痛み逃しを
するためにリスク承知でモルフィンを使用したのに、促進剤を使用し、改めて痛みを
強めることを伝えられた私。それはもう狂ったように(パワーは残っていないはずなのに)
泣き始める。だったらなんのために、エピを何時間も待ち、緊急オペの患者のために
使用できず、挙句の果て、リスクの高いモルフィンを使用、この長時間痛みに
耐えてきたのだ・・・。これ以上パワーは残っていない私に何をしようとしているの?
何をしろというの?????????疲労と憤りとわが子にいまだ会えないもどかしさ
で、もり男に行ってはいけないワードを連発して泣き叫んだことを今でもはっきり覚えてる。
絶対に言ってはいけない言葉。それだけは言うまいと思っていた言葉が出てしまう・・・。
何人もの赤ちゃんの産声を遠のく意識の中で聞いていた私は
「なんで、なんで、なんで、私の赤ちゃんだけ産まれてこない、どうして?どうして?」
と陣痛促進剤の準備がされるまで泣き叫び続けた。これまで痛み逃しでは
静か戦っていた私が、違うところで取り乱していたのでMidwifeや医者がその
姿にびっくりしたようだ。(もり男談)
陣痛促進剤をうつには弱りきっていた私は、まず栄養剤みたいな点滴も必要で
その点滴をした上での陣痛促進剤投与。かなり時間がかかったように思う。
1:50頃
モルフィンの効力は次第に消えていっているはずなのに、体力消耗しすぎて
意識が朦朧・・・目がまったく開かなくなった私。
それでも、だんだんと陣痛が強くなっていくのを感じ、その間に医者が何か私に話かけて
いる。(実はその間に、会陰切開されていました)
そこからDr.が
「はい、いきんで~」
との声をあげる。いきみ開始だ。
もう、すでに目を開けていられることはできず、Dr.の声と隣にいるもり男の
「がんばれ~。がんばれ~。」
との掛け声だけに神経を集中させる私。自分は真っ暗闇の中にいるのだけれど
いきみはじめると、光の1点が見え、筋がこちらに向かってくる。
そこにむかっていきんでいきんだ。
頭が出てくるまでに時間がかかったけれど
「頭がでてきた!」
ともり男に言われる。もり男の声がどんどん涙声になっていくのがわかる。
Dr.の掛け声と、もり男の涙ぐみながらの
「がんばれっ!がんばれっ!もうちょっと!」
という声を聞きながら、私には到底残っていない、絶対ありえない最後の最後の最後の
POWERを振り絞り、全神経とPOWERを下半身に集中させた。
まさに自分の魂が燃え尽きていくような、そんな感覚。
2:14
そして最後はいきみ+吸引で大将Mが出てきた。
医者が
「well done!」
と何度も声をかけてくれ、生まれてきたわが子を私に
見せてくれようと、私の近くにもってくるのだけれど、私はどうしても目が開けない。
長時間の出産にわが子も耐えたのだ。意識がまた遠のく中で、それでも彼の健康
が気になり、
「Is he fine?」
と医者に尋ねると
「fine,good!」
という声が返ってきた。それを聞いて安堵した私。
もり男がそっとおでこにkissしてくれた。いまだ目を開くことも出来ず、もり男の
すすり泣きと、かすかなわが子の泣き声を聞いて、そこから私の意識は
途切れてしまった・・・・。
カンガルケアーはもり男にしてもらったようだ。(念のために
私がカンガルケアーできない場合はもり男がするように打ち合わせしておいたのも
良かった)
病院に入り10時間。陣痛開始からは22時間。要約でてきた大将M。
顔がパンパンにむくんでます(苦笑)
私の場合は注射をうち、胎盤を出し、会陰を縫ってもらい(これがまた麻酔あまり
効かずに痛かった。3本くらいうってもらったようだ)終了。
****************************
***************************
あれから2ヶ月が過ぎ・・・・今は目の前のわが子の育児に追われる毎日。
女性は痛みを忘れてしまうというけど、私はこの日のことは絶対忘れない(笑)
出産を決して甘くみていたわけではないけれど、私の場合は微弱陣痛という
こともあり、想像をはるかに超えた出産だった。
昔の女性が出産で命を落とすこともあったというが、これは本当にそうだと思う。
今、この瞬間、世界中で女性は自分の命をかけてわが子をこの世に無事誕生させる
ために、歯を食いしばっているんだ。
女性にしか味わえない人生の大仕事。無事乗り切った新米ママに待っているのが
育児戦争(苦笑)乗り切ったからこそ、見えてくるものがあり、また、子どもとともに
母ちゃんとして自分も成長していくようにも思う。
今はわが子の笑顔だけが、疲れきっているママ・パパに育児をがんばる勇気を
与えてくれる。
2ヶ月後の大将の寝顔。
この寝顔を見ながらまた新米ママは明日もがんばります。
この出産がしばらくの間トラウマになっていた。
難産=出産がうまくいかなかった=母親失格と、なぜか強烈に
自分を責めては泣き、病院側の対応にも恐怖があらためて湧き上がり
泣き、入院中はあふれる涙を抑えることができなかった。
産後はホルモンの関係で産後ブルーになりやすいと聞いてはいたけれど
まさに、ホルモンの変化も加わり、私はよく泣いていたと思う。
実家の母に携帯から国際電話で一部始終を報告し、いかに自分が怖かった
つらかったことを話していくうちに、だいぶ気持ちが浄化されたようだ。
母は私の話を静かに聴いてくれ、
「大変だったね、本当に怖かったね。でも本当によくがんばったね。本当に
おめでとう」
と彼女も涙声になりながら励ましてくれた。これで私はずいぶん救われた。
もり男・実家の母・Midwifeに話をしていくうちにずいぶんと私のトラウマ泣き?
はなくなった。
それでも産後2週間ほどは、思い出しては泣いていたかな・・?
こういう時はやはり話すこと、話を聞いてくれる誰かが必要なのだと思う。
退院してからはもり男ママの献身的な介護があったので、私の精神はかなり
落ち着き、24時間体制でのママ業もなんとか乗り切ることができた。
出産は確かにママと赤ちゃんが当事者だけれど、周りの支えがこれほどまでに
重要だということも、今だからわかる。
私を支えてくれた双方の両親、バー民の皆さん、友人たち、そしてもり男
本当にありがとう。
大将もよくがんばったね。